大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成3年(ワ)5341号 判決 1992年9月30日

原告

株式会社ケイズインターナショナル

右代表者代表取締役

柿沼千惠子

右訴訟代理人弁護士

後藤栄一

被告

今井常雄

右訴訟代理人弁護士

田中正司

主文

一  被告は、原告に対し、金七〇万円及びこれに対する平成三年五月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを三分し、その二を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  原告

1  原告は、被告に対し、二〇〇万円及びこれに対する平成三年五月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、室内装飾、トータルコーディネイト等を目的とする会社(平成三年六月一八日有限会社ケインズインターナショナルを組織変更)であるが、株式会社三井デザイン・テック(以下「訴外会社」という。)との間で、平成二年五月、通算三〇〇〇万円のデザイン契約を締結した。

2  原告は、右契約締結に際し、訴外会社から男性社員を常駐させることを希望されたので、同年同月二八日、被告を月給二八万円の約定で雇用した。

3  ところが、被告は、わずか四日間で音を上げたので、原告は被告に対し、一か月間の研修期間を与えたところ、被告は、右期間中に突然他の会社に就職し、本件雇用契約を一方的に破棄した。

その結果、原告は、訴外会社との前記契約の履行ができず、三〇〇〇万円相当の有形無形の損害を被った。

4  そして、被告は、原告に対し、そのころ、右損害中二〇〇万円を支払うことを約束した。

5  よって、原告は、被告に対し、右約定の二〇〇万円及びこれに対する民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うことを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は知らない。

2  同2のうち、原告主張の日に雇用されたことは認めるが、その余は否認する。

3  同3の事実は否認する。

4  同4の事実は認める。

三  被告の主張

1  仮に、原告に何らかの損害が生じたとしても、被告には、損害賠償責任はない。

(一) 被告は、原告との間で、月給二〇万円、交通費月八〇〇〇円、研修期間三か月の約定で雇用契約を締結したものであるから、その期間(試用期間)中は、いつでも自由に本件雇用契約を解約することができるというべきである。

(二) また、被告は、平成二年五月二八日から訴外会社で事務室の内装工事の設計に従事することになったが、不慣れのため、周囲の人々の仕事ぶりを見て自信を失い、激しい頭痛、食欲減退に陥り、それ以上の仕事の継続が困難となったため、同年六月二日、原告に辞職する旨を通知した。

2  強迫による取消し

(一) 被告が原告に対し二〇〇万円を支払うことを約束したのは、原告代表者柿沼千惠子が、やくざを使って被告の腕を折るような話をし、もし被告が右約束に応じなければ被告の身体に危害を加えかねない気勢を示して被告を脅かして畏怖させたためである。

(二) 被告は、平成三年一一月一五日の本件口頭弁論期日において、これを取り消す旨の意思表示をした。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張1(一)の事実は否認する。正式に雇用したものであって、試用関係ではない。

同(二)のうち、被告が原告に対し辞職の通知をしたことは否認する。被告は突然無断欠勤したものである。

2  同2(一)の事実は否認する。

第三  証拠関係<省略>

理由

一1(一) 証拠(<書証番号略>原告代表者、被告本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、インテリアデザインの企画設計等を目的とする有限会社であったが、平成三年六月一八日、株式会社に組織変更したこと(なお、同年七月一五日その旨の登記)、平成二年五月当時は原告の従業員は全員女性であったこと、原告は、そのころ、訴外会社との間で、霞ケ関ビルリニューアル工事に関し、報酬一か月六〇万円、期間二年間とする事務室の移動計画設計業務等のインテリアデザイン契約を締結したこと、その際、訴外会社から右業務を男性社員に担当させることを要求されたこと、そこで、原告は、同年同月二八日(この月日については当事者間に争いがない。)、被告を、訴外会社との右契約を担当する社員として、そのことを十分説明した上で、給与月額二〇万円(交通費、超過勤務手当別)の約定で雇用したこと、ところが、被告は、同年六月四日ころ、病気を理由に欠勤し、結局右仕事を辞めてしまったこと、その結果、原告には男性社員がいなくなり訴外会社との右契約は駄目(解約)になってしまい、少なくとも同年一一月以降の月額六〇万円の割合の収入を失ったこと、が認められ、右認定に反する被告本人の供述及び<書証番号略>の供述記載は信用できない。右事実によれば、原告は、訴外会社との右契約が駄目になったことにより少なくとも一〇〇〇万円の得べかりし利益を失ったものと認められる。

(二) 被告は、被告が原告を退職したことについては、試用期間中であって解約は自由であり、また、病気というやむを得ない事由があったから、右損害につき被告には責任がない旨主張する。

(1)  しかし、原告と被告との間の本件雇用契約が、試用期間付の契約であったことを認めるに足りる的確な証拠はない。すなわち、被告本人の供述及び<書証番号略>には、これに副う部分があるけれども、原告代表者尋問の結果に照らしてにわかに信用し難く、かえって、原告代表者及び被告本人各尋問の結果並びに弁論の全趣旨によって認められる、被告は、原告に雇用された直後から、単独で、訴外会社との契約に基づく仕事先である霞が関ビルにおいて仕事をしていたものであって、原告において、これを指導し、あるいはその仕事ぶり・人物・能力等を評価するための特別の手段を講じた形跡が全くない事実に照らすと、被告は当初から本採用(正社員)されたものと認められる。

したがって、被告の右主張は、その前提を欠くのでその余の点につき検討するまでもなく理由がない。

(2)  また、被告は、その本人尋問において、「周囲からも変な目で見られ、頭痛がして、食欲がなくなり、歩くのも困難な程であった。」と供述する(<書証番号略>にも同様の記載がある。)が、<書証番号略>及び被告本人尋問の結果によると、被告が平成二年六月四日頭痛を訴えて最成病院において診察を受け、CT検査を受けたものの、特に所見は得られなかったこと、また、被告は同年六月一〇日過ぎころからは別の会社にアルバイトに行っていることが、それぞれ認められ、これらの事実に照らすと、被告の右供述部分は到底採用できず、他には被告が当時原告の勤務を継続できない病状にあったとの被告主張事実を認めるに足りる証拠はない。

したがって、右主張も採用の限りでない。

2(一) 被告が、原告に対し、右損害に関し二〇〇万円を支払うことを約束したことは当事者間に争いがない(なお、原告代表者及び被告本人各尋問の結果を総合すれば、その時期は、平成二年七月ころと認められる。)。

(二) 被告は、右意思表示は、原告代表者の強迫に基づくものであると主張する。

しかし、右主張に副う被告本人の供述及び<書証番号略>の各供述記載部分は到底措信できない。

すなわち、原告代表者及び被告本人各尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、原告代表者が被告に対し、前記損害につきそれなりに強硬な態度でその賠償を求めたであろうことは想像に難くないところである。しかし、右各証拠によれば、被告は三六歳の男性であるのに対し、原告代表者は同年齢の女性であり、しかも、右損害賠償についての交渉は、原告代表者からの求めに応じて、被告が原告の事務所に赴き、夜の七時三〇分ころ、原告代表者の他に女子職員一名が同室している状況で行なわれ、被告が抵抗したり退席しようとすればさほどの困難なしに実行可能な状況であったことが認められる。また、被告は、原告がやくざと関係があると思っていたから、それを畏れて確約書(<書証番号略>)を作成したとも供述するが、原告ないし原告代表者がやくざと関係がある事実を認めるに足りる客観的な証拠は全く存しない(被告に右話をしたと被告が供述する後藤みゆきも、当法廷において、それに副う証言は全くしていない。)。

したがって、被告の前記供述から被告主張事実を認めることはできない。

3(一)  ところで、前記認定のとおり、原告は一〇〇〇万円余の得べかりし利益を失ったことになるものの、被告に対する給与あるいはその余の経費を差し引けば実損害はそれほど多額なものではないと認められる。

また、原告代表者及び被告本人各尋問の結果によれば、原告は、被告を採用し、原告の直接の監督の及ばない訴外会社との前記契約に基づく仕事を単独で担当させるにもかかわらず、被告の人物、能力等につき、ほとんど調査することなく、紹介者の言を信じたにすぎなかったことが認められるから、原告には採用、労務管理に関し、欠ける点があったと言わざるを得ない。

さらに、そもそも、期間の定めのない雇用契約においては、労働者は、一定の期間をおきさえすれば、何時でも自由に解約できるものと規定されているところ(民法六二七条参照)、本件において、被告は原告に対して、遅くとも平成二年六月一〇日ころまでには、辞職の意思表示をしたものと認められないではないから(そうすると、月給制と認められる本件にあっては、平成二年一月一日以降について解約の効果が生ずることになる。)、原告が被告に対し、雇用契約上の債務不履行としてその責任を追及できるのは、平成二年六月四日から同月三〇日までの損害にすぎないことになる。

さらにはまた、労働者に損害賠償義務を課すことは今日の経済事情に適するか疑問がないではなく、労働者は右期間中の賃金請求権を失うことによってその損害の賠償に見合う出捐をしたものと解する余地もある。

(二)  以上のような点を考え合わせれば、本件においては、信義則を適用して、原告の請求することのできる賠償額を限定することが相当である。

そして、前記のような諸事情及び<書証番号略>及び弁論の全趣旨により認められる、被告は本件雇用契約に基づき原告から給与等の支払を全く受けていないこと、原告が本訴を提起するにいたった重要な要因として、被告側からの前記のとおりの客観的裏付を欠く、原告代表者が被告を「やくざを使って腕の一本や二本も折ってもどうってことはない」等語気荒く強迫して前記確約書を書かせた、これは恐喝罪に当たる等と極め付ける内容の内容証明郵便を送付したことにあると考えられること、本訴においても、被告側は原告に対して右同様の非難を繰り返すのみで、その主張につき十分な立証ができないにもかかわらず、かたくなに話し合いによる解決を拒絶していること等をも総合考慮すると、原告が被告に対して請求することができるのは、本件約定の二〇〇万円のおおよそ三分の一の七〇万円及びこれに対する弁済期の経過後である本件訴状送達の日の翌日である平成三年五月一九日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金に限定するのが相当である。

二以上によれば、原告の請求は右の限度で理由があるから認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官赤塚信雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例